貴賤意識と他責傾向をなくさないと大人になっても本当の意味で幸せになれない やり直しが効かない日本

こんにちは、ヌンタコブログのヌンタコです。

貴賤意識他責傾向をなくさないと本当の意味で幸福にはなれないと考えています。さらに強くてニューゲームがほとんどない日本の場合、弱くてニューゲームも可能な社会を目指すべきと考えています。幸せになるために捨てるバイアス、やるべき生涯学習についてお伝えしていきます。

貴賤意識


なぜフィンランドは幸福の国となったか、さまざまな著書のその理由について述べられています。

理由の一つに挙げられているのは「差別教育の徹底化」です。

その人の身分や家庭の経済事情、そして学力などで人の価値を測るようなことをしないという教育をずっと続けています。

小学校の時点でそのような教育システムがあることから貴賤意識が生まれないような文化か慣習がそこにはあります。

また、子供の進路を決めるときに「ここは収入が低いからダメだ」とか、「そんな仕事を選んだら潰しが効かない」という言葉を耳にしたことがあるでしょう。私も耳にタコができるほど口酸っぱく言われ続けてきました。

この意識の根底には昭和から続く良い高校→良い大学→大手企業という思考回路が親御さん世代に根付いているからでしょう。けれども時代は令和。

もう学歴も通用しない、大手企業は大量足切りもあり得る時代なのですね。

学歴偏中思考から脱却できなければ、貴賤意識を持ったまま大人になるでしょう。

勉強ができなかったからこんな仕事をしているんだな。という思考に。

もちろん私もまったくこれがないとは言い切れません。

しかし、この意識が根底に深く根付いている限り、幸せからは遠のきます。現に生活保護=社会的に恥ずかしいという思考が蔓延していますが、本当に必要な人がこのような理由から受けることができない現状にあります。

生活保護の受給資格についても無収入や資産の有無などの条件はあるものの、正直なところ何もしなくてももらえる状態にあるというところが懸念される点です。
フィンランドでは毎月の受給に関しては就職活動はもちろんのこと、月に何度かボランティアに参加することが必須条件とされています。

また、半永久的に受け取れるものではなく、期間に限度があるのです。

もっと言えば、フィンランドでは就職することは必ず資格がセットで日本よりもかなり視覚が細分化されています。資格がなければ職に就くことはできないので転職で異業種を受けるのであれば学び直し、資格を取る必要があるのです。本当の意味の生涯学習ですね。

そのため、どのような職に対しても敬意を払うことができていると言えます。

社会システムを見直し、貴賤意識を取り除かない限り、自分が生活困窮者になったときジレンマに襲われるでしょう。そのような理由から仕事を辞めたくても辞められない=不幸体質になっている状況も一つあると思います。

他責傾向


最近多いように感じてしまうのがこの他責傾向です。

大なり小なり、確かに自分のせいではないことはあります。特に育った環境や親の教育意識、経済格差は子供の力ではどうしようもないものです。親ガチャという言葉は子供の立場、親の立場として俯瞰してみましたがどちらの立場に立っても悲しくなりました。

恵まれない環境で育つことはどんな人でもあると思います。

けれどもそれを高校卒業してもずっと

  • 親のせい
  • 経済のせい
  • 政治のせい
  • 学校の先生のせい
  • 自分が関わってきた人のせい

にしてしまうのは他責も甚だしいというものです。

他責傾向の大人になりやすいポイントとしては、

  • 子供の時に必要なタイミングで叱られることが無かったこと
  • 勉強に偏って情緒発達が未熟なままのアダルトチルドレン
  • 失敗経験がないまま大人になり、プライドや保守思考に偏ってしまった人

と考えています。

特に褒めて伸ばすという言葉がメディアでも流れていることから、この言葉の意味を鵜呑みにしてそのまま子育てに応用するご家庭もあります。

なので叱られた経験がない=大人になって会社などで叱責を受けるとそれを回避する行動を取る よくあるのが、保身に走るがあまり何か言われそうになったら言い訳を咄嗟にいう人です

大なり小なりありますが、アルバイトでもあり得る状態です。

このあたりは昭和を生き抜いた人とのギャップが激しいと思います。
けれども、その昭和を生き抜いた人の従順さが産んだ歪みともいえそうです。

その褒めて伸ばすをそのまま実践してしまったがためにアダルトチルドレンに我が子がなったと考えるとなんだかとてもやるせない気持ちになります。

やり直しが効かない日本


一番の問題はのやり直しが効かないシステムにあると私は考えています。

生涯学習とは名ばかりで、それを手助けする社会福祉のシステムが備わっていません。

例えば、高校卒業まで楽な方に流れた学生が、卒業後地元の工場に就職しました。毎日単調な仕事内容でステップアップもなく日々が過ぎていきます。給与だって高くありません。この状況から脱出しようにも、大卒の資格を取るにもそれなりの学費や入学試験の準備などお金も時間もかかります。

そのような状況になったときにきっと絶望するでしょう。なぜあの時もっと頑張っておかなかったんだろう…そう思うでしょう。

そして目には見えない貴賤意識や妙な学力ヒエラレルキーが蔓延る職場であれば自分の自尊心はボロボロです。その次は「自分なんて高卒なので」という言葉が出てきます。

せめてもう一度人生をやり直せる機会を福祉で与えられないのかなと思います。

本気でやる姿勢を示す人を救うような教育システムを生涯学習の拡充として組み入れないと、GDP向上も難しいと考えています。

20代でもこのような「一度ダメならずっとだめ」と思ってしまうような社会構造に漠然とした不安を抱えています。

その結果何が起きているか?


このような背景から、政治批判、責任逃れ、報われない努力は不毛、思考停止、マイナス思考、国民全体が疲弊している状態になっていると思います。

政治批判については思うところありますが、あまりにも過度にいき過ぎているものも散見されていると思います。

本気で国力を増加させたいのであれば子供だけを対象にした教育費の拡充だけではなく、その親世代の生涯学習も包括的にサポートしていく必要があると考えています。

質の高い道徳教育が重要


このような理由から貴賤意識を取り除き、他責傾向をなくすためにも道徳教育が必要であると考えています。

また、誰でもやり直しが効く社会にすることで幸福度は上がると考えています。
けれどもやり直しがしにくい年齢はあります。体力の衰えや身体機能の低下が起きる年代、どこを境にくるかは多少差がありますが、この場合は抗えないものもあります。

しかし自分に決定権のない人生を高齢社会の中でずっと過ごしていくのは苦痛以外の何者でもないと考えます。

自分らしく幸せに生活していくためには差別的なバイアスを取り除き、生涯学習を積み重ねて理想の生活を手に入れていく必要がありそうです。

就職支援の職業訓練校はありますが、それよりも敷居を低くした学びのシステムが必要なのではないかと考えています。