こんにちは、ヌンタコブログのヌンタコです。
今週子供の探究学習の活動でフィールドワークをしたので、
その振り返りをします。
フィールドワークをすることになった背景
探究学習をテーマに活動をしているのですが、必ずなんらかの目的やゴールを設定した上で必要な手段として行います。
今は小学生の子達にグループ活動で「まちづくり」をテーマとして創作活動を進めています。で、このまちづくりのゴールは「政治」やまちを作っているのが人とのつながりであることを理解してもらうこととしています。
で、街には家があってお店があって、公共交通機関があって・・・と色々想像して欲しい訳なのですが、この想像に行くまでのプロセスは子供に気づきを与えたいのでなるべくワイドな質問をしながら、様子を見てナローな質問も混ぜてコミュニケーションをとります。
例えば家にあるこれはどうやって手に入れたの?とか。で、お母さんが買った。とか答えるのでじゃあどこで買ったのだろうね?と。
- そこでうーんと考えるのですが、咄嗟に出てきたお店が、
- アマゾン
- メルカリ
- アイリスオーヤマ
・・・全部オンラインショップやないか・・・!
悪いことでもないけど良くもないのですよ。
オンラインや電子機器に頼る弊害
実態のないものに依存しすぎることがどのような影響を与えるかを考えます。
ボタンひとつで情報も物品も手に入ってしまう、便利なことですがこの裏を考えることが子供達にとっては少なくなってしまうと危惧しています。
- 注文したのに届かない!うざい!→配達してくれる人がいることに気づいていない
- なんで欲しいのに手に入らないの!?意味わかんない→提供者や販売者がいることの想像性の欠如
結局あるのが当たり前の世の中なので、子供たちが物事の裏側や多面的に見て想像して考えるという非認知能力の欠如が指摘できると考えます。
もちろん思慮深いお子さんや保護者の方の関わり方次第で、電子デバイスでもある程度の能力は養えますが、結局は手段なのです。
そのツールに依存しすぎていると、なければ何もできない。ということになりがちです。
あと、トリニクってなんの肉?というテレビ番組があったと思いますが、「高学歴なのにこんな一般常識わからないの?ヤベー・・・」じゃなくて。彼らがやばいんじゃなくて。
塾と学校と家の往復しかさせてこないことが人間味とか奥行きを無くしててやばいんじゃないのかな?と考えています。
勉強だけできればいいこを育てるならこのやり方で合っているでしょう。お金さえあれば自分の子を死ぬ前で人様に迷惑をかけずに養うことができる、たとえ自分で生きていく力がなくても良い。という考え方はあります。本当にそう囲い込めるなら、ですが。
教育に携わる者としてはこれの是非は、やっぱり受け入れられない。ただ、ご家庭の事情や余裕に応じて、お子さんの年齢も鑑みて決めることでもあります。
話がずれましたが実態のあるものに触れながら学ぶことを通して、生きた学びを実感をしよう。
とフィールドワークをしました。
服を匂う
街中にみんなで入って行ったのですが、服を触ったり、匂ったり。
あとフレグランスのコーナーでは色んな匂いを嗅いだり・・・
オンラインで補える情報は視覚と聴覚情報のみです。
実店舗で体験できるものは嗅覚や触感、そして何より人間活動の空気感です。
買う人がいて、売る人がいて、色んな人がいる。どんな活動をしているか、社会を学ぶのにはやっぱり実態を伴っている活動がいいと思っています。
オンラインでは注文したものがイメージしたものと違ったということが誰しもあると思います。
そういったイメージしにくい部分を補ってくれるのはレビューですね。
彼らにはまだ早いけれど、高学年のプログラムでは起業体験もするので、どのような伝え方をすれば集客できるか?という課題のヒントもフィールドワークでは転がっています。
楽しんでくれたようで何より
この活動は低学年の子達で一緒にまちをぶらぶら歩いたのですが、色々と質問もしながら進みました。ただ、子供たちは終始興奮した感じで楽しいと言いながら歩いていました。
自分から積極的に「〜がある!」と発見しながらどんどん先に先にと進んで、
服屋に入った時は似合いそうなやつ選んであげる〜といって合わせていたり本当に楽しそう。
ただ、楽しいだけではこの活動の意味がないので汗
本当に学びがあったかどうかは来週の活動で明らかになりますけどね。
オンラインショップにはない良さや社会活動を少しでも理解してもらえるといいなと思いながらまた進める予定です。